書評 飯田泰之 ダメな議論 論理思考を見抜く

書評 飯田泰之 ダメな議論 論理思考を見抜く

Date: 2018

世間は常にダメな議論が溢れている。その中、ダメな議論を見抜き、合理的な議論の仕方と有効的な「ダメ議論」に気づくためのチェック方法を紹介するのは、『ダメな議論——論理思考を見抜く』(飯田泰之2006 ちくま新書)である。リテラシーとして正しく有益な情報の収集仕方を共有する。著者は崇高な理念の持ち本書を書き上げたが、残念ながら彼は自らダメな議論を犯したことを何箇所か見つけてしまったのである。特に現に深刻な農業問題についての評論を指摘しなければならないため、以下はまず本書の内容を紹介し、そして著者の犯した重大なる過失をめぐって論じる。

本の第一章はダメな議論の成立機構を分析し、それは我々が漠然として物事を賛同する常識によって起因すると述べている。多くの場合、ダメな議論の提唱者は十分な証拠を提示し人を納得させるのではなく、人は自らその主張の合理性を内部から築くことによって、心にかなうようになるという。第二章はダメな議論に気づくいくつかのチェック方法を紹介している。データで反証できるか、議論に用いた曖昧な概念や言葉を定義したか否か、などのチェック手法が提示されえている。第三章は上述のチェック方法に対する予め可能な反論に対する反駁が書かれている。第四章は現代日本における「ダメな議論」の事例が紹介し反駁されている。

筆者は第四章のところに日本の農業問題について意見を述べた。彼は予めそれはあくまでも反駁の仕方を展示するのであり、述べた意見に責任を持たないと言っておいたが、彼の書いた論説には重大な過失がある。彼はダメな議論の事例として食料不足問題を取り上げるに対し、正論として以下のことを書いている。農産物の国際価格が上昇するに連れて、経済学の価格-需要供給理論に基づき農産物の生産量は自ずと上昇するゆえに、食糧不足問題は問題にならないと述べていた。これは大間違いである。いかなる責任回避の宣言を予め言っといたとしても、責任は逃せない。誤った論説を正論として世間に展示することは不適切だと考えられるため、指摘せねばならないのである。

現時点では、農産物の生産において市場調節機能が働かないことは周知の事実である。農産物の生産量は価格上昇によって自ずと増産することがない。なぜなら、価格より強い自然の制約が農業にかかっているからである。まず明らかに経済学理論を反する事例をいくつか紹介しよう。食料の需要が高まったアフリカではなぜ食糧が増産できないのか。コメの需要が高まった1993年冷夏ではなぜ直ちに供給上昇できないのか。それは、農産物を栽培するにあたって時間と地力が要し、地域によっては栽培できない作物があるからである。まず植物を育てるには太陽光が不可欠である。1993年の冷夏凶作の引き金になったのは、1991年のインドネシア火山噴火の火山灰が太陽光を遮断したことが指摘されている。その他、気候も植物を育てるための土壌に大きく影響を与える。低緯度熱帯地域では砂漠のほかに熱帯雨林があることは思い出せるだろう。しかしこの熱帯雨林は一見生命力が溢れるかのように見えるが、下に埋まる土壌はなんと貧弱なことか。それは熱帯地域の特徴でもある強烈な雨によって、土壌の栄養分がすべて洗い出されたからである。よって地球上のどこにでも栽培可能ということではないのである。もう一つは、栽培から収穫までは時間が必要であること。特に露天作物は天候が影響しやすく、常に収穫時期に台風や熱帯低気圧や冷害などで収穫できなくなることがある。それゆえ農産物の価格が上昇するが、逆操作の価格上昇による増産は明らかに不可能である。

以上は、著者が正論として展示された論説についての反駁である。著者は、市場調節機能に基づいて価格の上昇によって高価格を狙う人が増え、食糧は自ずと増産し食糧不足が解決されると述べていた。確かに食糧の減産によって価格は上昇するが、しかし逆操作の価格上昇につれて食糧増産することはないのである。著者がダメな議論の例(食料不足問題)として取り上げた方こそ正論であり、正論として展示された方こそダメな議論である。ダメな議論を正論として読者に読ませるのはいかなる理由があっても不適切だと考えられる。ゆえに本書の第四章には重大なる過失を犯した。

著者は第二章にところに、ダメな議論に気づくために「単純なデータ観察で否定されないか」という検証指針を挙げた。今回はデータとは言えないが、単純観察で否定されうる論説が論破されていた。本書で取り上げたダメな議論の検証方法は功を奏し、功績を記すべきものである。


Last update: 2023-06-28
Created: 2023-06-28