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持続可能な研究生態に向けての幾つの提言

Date: 2020

人文地理学の中に民俗学が含まれていると考えられてきた。それは、人文事象例えば地域の文化を研究する上で重要な視点を獲得するためであろう。しかし、地理学を学問ものに対し民俗学の視点で観察し反省することは見当たらない。民俗学者島村恭則は民俗学をこう定義している。民俗学は、「覇権、普遍、中心、主流とされる社会的位相とは異なる次元で展開する人間の生を前者と後者の関係性を含めて内在的に理解することにより、前者の基準によって形成された知識体系を相対化し、彫刻する知見を生み出す学問」(島村2017)である。上述のことをより簡単言葉で説明すると、つまり、覇権<=>弱者、あるいは中心<=>周縁という序列関係のなかで、覇権と中心における知識を後者の思想を持って反省することである。さらにこれを「内在的に理解することを目指す」ために当事者を研究に組み込むことが重要である島村はと述べている。

人文地理学は一見覇権の立場に置かれると考えられがちであるが、実際これは勘違いであり、人文地理学はむしろ弱者で周縁にある学問さえあるのではなかろうか。理由を挙げれば、同じ地図を取り扱う者同士ではあるが、地図の専門家よりは人文地理学の研究者はむしろ地図の門外漢である。人文地理学者の描く地図は、まさしく反主流的な民俗的作品さえいえる。こうした人文地理学的地図作法は、学生に粗末に伝授し、粗末がゆえに学生がうまく技術を掴まらず文化の伝承が断絶するが、一方学生自身による創作で主流及び理性から疎遠する作法で地図を描き、地図に表出するの民俗性(形容詞名詞化、vernacularity)が増幅することになる。つまり、人文地理学自身が民俗文化を量産しているのである。

そこで筆者は人文地理学に所属している、この集団を身近に観察を行っている一人として、人文地理学における民俗的事象を研究するのに最適である。観察したうえ、考察を行い、人文地理学の学問伝統について再考し、その現状を反省する。

人文地理学は様々な編集者から大学用の教科書を刊行しているが、それぞれ教科書の内容にはテーマの選別が行い、人文地理学全体を俯瞰する入門的専門書でさえテーマが齟齬することが多い。すなわち、人文地理学という学問の射程および基礎知識については、まだ学界で一致する意見が定まれていないと認識できよう。筆者は、様々既刊書の取り扱う内容を比較し、この現状を明確にする。

地誌学と地理学は異なる学問である認識は普及しているが果たして本当でだろうか。地理学は地誌ではないと断言する地理学者もいる。しかし、特定事象について研究する系統地理学でさえ、研究において現地調査或いは考察が必須行為となっている。現地調査或いは考察によって得られた知見を抽象化し、理論のモデルを構築する。注意すべきなのは、この作業の過程がすでに該当地域を描述・記述することになるのではないか。つまり、Geoをgraphするのである。系統地理学の言い分はおのずからを欺くだけなのである。系統地理学の知見は純粋なる形而上的な人工理論ではなく、現実の地域事象に基づくモデル構築の産物に過ぎない。例えば、「大阪という都市は人口が多いである」という地域の記述に対し、「大阪」という地域を特定するキーワードを削除し、「都市は人口が多いである」のみを残す。この結果の記述は決して「都市」の普遍性・一般性格を現してはいない。単に本来記述される対象の大阪のことを隠蔽したことによる断片的な地域描写に過ぎない。地域・場所のことを最重要視する地理学は場所の情報――地理情報――を隠蔽する反地理学的・矛盾な行為を取ることは、もはや系統地理学が地理学から外れるになろう。

人文地理学の協定を定めること。例えば地図表現や、論文提出の際に地理情報の明記など、持続可能な研究に資する行為を広げる。

人文地理学者は地域から得られた知識を体系化し系統地理という学問領域の構築に成功したと彼らは信じているが、残念な事にそのような知識を普遍化・一般化・体系化する能力は、人文地理学で用いられる記述・方法論のモデル構築に応用されず、持続的研究のための技術伝承は失敗だった。例えば、筑波大学地理研究室の試みや、荒木一視と林による『食と農の地理学入門というフィールド技術』の記述の試みなど。人文地理学においては手引きのような研究方法集大成がいまだに存在しない。

実際、人文地理学の論文は、方法論についての言及が極めて少ない。自然科学系の論文のように方法論の明記と検討を行う必要性が学問全体に共有されていない現状である。方法論を書かない代わりに、紙幅を地域の特徴や歴史などの記述に振り分ける。人文地理学者は、系統地理学は地誌を記述するのが中心ではないと宣言しつつも、一生懸命地誌を綴る事が見受けられる。またも矛盾の行為である。

自称研究のマニュアルなどは結局マニュアルではなかった。田林明(2014)の論文では、

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「**役所や関連諸団体**などの協力が得られるか,また,調査に対応してくれるいわゆるキーパーソンがいるかどうかというのも,研究を進めるうえで重要」

だと書いているが、肝心の箇所は曖昧模糊の一般名詞になっている。すなわち、役所いうのはどういった機構なのか、関連諸団体というのはどういった団体なのか、明示されていなかった。対比するために、ここにアメリカの地理教科書の内容を少し引用しておこう。

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「There are several professional communities and organization concerned with the use and application of the GIS as the Uban and Regional Information System Association(http://urisa.org) and the Global Spatial Data Infrasturcture Association (http://ww.gsdi.org).

出典:Jonathan Campbell, Micheal Shin(2011), "Essential of Geographic Information System", Saylor Foundation, pp.26,27. https://core.ac.uk/download/pdf/213463496.pdf

この引用は意図的に抽出したのではなく、この本は所々組織名や活用できるソフトの提示が行われているなか、長文の引用を避けここだけを選んだ。要するに、黒部川の論文のように具体例を提示しないやり方では、ただ学生読者に困惑をもたらすのみである。もっと言えば、「役所や関連諸団体などの協力を得よう」と言われても、アメリカ大統領の協力を得るのか、銀河統治者の協力を得るのか、研究経験者やその手の専門家ならばかげた話になるが、素人にとってはどちらでもあり得る話で、しかも、ロジックに違反しない。このように具体例を出さず曖昧模糊の指導は、いかに不親切なのかを理解できたのか。もっと言えば、この自称マニュアルは、ただ単に自己満足の感想文に過ぎない。「マニュアル」を作る考慮は著者の心中にはなかった。

もっとも、人文地理学者は人間としての基礎技能「他人に物事を教える」欠損しているかもしれない。

  1. 参考文献

島村恭則(2017)「グローバル化時代における民俗学の可能性」、松尾恒一編『東アジア世界の民俗学――変容する社会・生活・文化――』、アジア遊学、217-231頁

田林明(2014), 農村変貌に関する調査手順:富山県黒部川扇状地を事例として, https://core.ac.uk/reader/56656330


Last update: 2023-06-28
Created: 2023-06-28