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サービス地理学から見出す人分地理学全般における問題点

Date: 2020

The Ultimate Limitation of Human Geographyt Through Reviewing Geography of Service Industries

Abstract

This paper solely point-out the ultimate limitation of human geography. Through reviewing the lectures on Geography of Service Industries, limitations of this discipline had been revealed. First, the object of human-geographical study was limited to mainly the visually-experienced-world which initally ignored the virtual-world's existent. This lead to a hypoconscious of the happenings on some spacial limited services particularly the spacial limited internet services such as Pokemon GO, a Japanese mobile online game. Besides online game, there is also a board phenomenon of limiting global access to the Japanese local website, however, individuals and communities worldwide access these limited internet services under the usage of VPN services. How can Human Geography objectivize this without the scope of "Cyber-Geography", as Geography of Service Industries currently dealing with issue like this, namely, spacial-limited services, but not covering the happenings among the internet? This will be a big issue that has-to-be-concerned in the future.

Discussion

近代文明になっていくと、人類は「外部サービス」に依存することになり、「外部サービス」を利用しなければいけない状態を作っている。本来自分のやるべきこと、あるいは自分でできる事を、自ら執行するのではなく他人の委託する。原因は様々あるが、専門知識を持つスペシャリストがある特定のことをやりこなしているから、そのスペシャリストに業務を委託する方が正しいこともある。例えば、自分の知らない外国語への翻訳業務は、その言語の専門翻訳員に頼んだ方が何よりも目的を達成するのに一番いい選択肢だと思われる。例えば、後頭部を見えないから、失敗のない散髪の執行は、その後頭部を丸ごと見える立場にいる自分以外の誰かが必要となり、それ故美容室が町中に林立する。したがって、人間生活の少なくとも一部は、外部の「助け」が必要であり、それがなければ健康的かつ文化的な生活を送る事が困難となると考えられる。

このように考えると、「町」の形成は、古くから中世から人がい続けた町がある一方で、新規形成の町もある。新規形成の町は、上述のような、生活や存在することによって自然発生する代理執行の需要を満足させるために、民家以外には「サービス業」の業者が存在するだろう。例えば、生活物質を調達する商店、先言った散髪専門の美容室、それとクリニックなどが、必ずといっていいほど町とくっ付いている。この現象を観察・研究するのに、もしとある一つの業者だけに注目すると(例えばクリーニング屋の立地についてとかを題名に論文を書くとなると)、この現象に対する広い視野が欠如することになる(ところがそうはいっても関学地理はこのような研究テーマをなぜか好んていて、まだ問題を発覚していないようだ)。

要するに、研究の主題は特定業者(その業者の立地云々)よりも、町それ自体、沢山の社会経済行為・物質金銭移動などが働いでいるこの「現象の集合体」を研究の主題とする。その町、その場所への理解に対する一つの見解を、人文地理学は出している。

例えば、エスニックタウンの形成についてはまた同じような視点で解釈できる。移民研究には「連鎖移動」というのがあるだろう。とある文化集団の集団移動によって、その集団の生活を支える業者もそれにつれて移動する。特にこれまで指摘されている、移民は必ずしも当地言語を操られるとは限らず、その場合はなじみの母語でコミュニケーションの取れる業者が必要になってくる。また企業の海外進出のよって、本拠地のビジネス慣行も「連鎖移動」する現象が起こる。移動は人間にとどまらず、文化・言語・習慣も物理的に一緒に移動するようになる。このメカニズムを理解することで、エスニックビジネスの門も開くだろう。2

しかし、人文地理学は人文地理学だけに研究対象の選定に限界性を現している。人文地理学は研究対象を「地表の可視物」のみに限定している点は、失敗ともいえよう。たとえ「文化」という虚ろの物にせよう、その文化が表出するしているこそ捉えられ、対象化される。例えば秋葉原のような、オタク文化がポスターや看板など表出していることで、その文化空間を演出している[3]。したがって、表出しないものが対象化されてこなかった。

[3]: 例えば、森川嘉一郎(2003)『趣都の誕生―萌える都市アキハバラ』幻冬舎, ISBN-13: 978-4344412323.

ここで「人文地理学」の研究範囲はいったいどこまであるのか再考しよう。「人文」を名乗っているため、「人類の活動空間」を人文地理学の研究範囲とするのはどうだろう。すると、「空の人文地理学」は想定内なのか。当然想定外である。筆者はこれまで1年間、「空」と「地理学」をキーワードに検索をかけ、該当する先行研究は一切なかった[4]。当然、インターネットも範囲から除外されている5

[4]: 地理学は地理学と水文学に分けられるだろう。このパタンで考えると、天文学ならぬ「天文学」も成立するはずなのに、「天文学」が存在しない。ここでいう「天文学」は、astronomyでもなくmeteorologyでもなくaerial geographyである。しかしaerialとgeo両語はそもそも矛盾していないか。そしてgeoを無くしaeriographyと私はこの学問を命名する。ところがaeriogeographyもaerialgraphyも既存研究が確認できぬ。

要するに、「地」だけに限定する際に、限界性が生じる。まず、第一、人間の活動範囲表出世界にとどまらず、仮想世界での活動がむしろ先進国の人々の方がより活発にかもしれない。現代人のコミュニケーションが希薄になっていくことが幾度も言われている一方、Facebook、Twitter、Reddit、Stack Exchange、Quora、4chan、5ch、Researcher Gate、Githubなどでのコミュニケーションは表出世界に劣らず活発ではないか。ゆえに表出世界での活動のみ注目する現段階の人文地理学では、この限界性を払拭できない。

第二、人間の移動に伴いサービス業が追随する図式がこれまで展開されてきたが、逆パタン、すなわち人間がむしろサービス業を追随する形で積極的に移動するのではなかろうか。つまり、双方向の追尾行為が、片面しか捉えることができずサービス論は、まだ不完全なものである。

以上二点の限界性は、研究視野から具体的には何か大切なものを対象外にさせたかというと、「インターネットサービス」である。二十文字で要約すると、地域限定のネットサービスを求めるがゆえに人間は越境したのである。長々ブームが終わらないポケモンGOは、その代表例である(図1)。また、ここ十数年のオンラインゲームも、明白な典型例である。それは、日本国以内でしか遊べないゲームである。そのゲームの面白さに誘われ、日本国外の人間はIPを偽造し恰も日本にいるかのような状況を作り出さない限り、遊べない。連られてVPNという利用者の所在情報を偽造するサービスも、それゆえに多く利用されている。特に日本のサイト(例えばDMM)をアクセスするために利用する事例が普遍的である(なぜか日本のサイトは海外アクセサを封鎖するのが一般的)。

「ここでしかない」「利用に伴い物理的条件が設けられている」ことは、表出空間での食店のみならず、インターネットサービスもこれらに合致しているのではなかろうか。以上、サービス論とサービス地理学を総観したうえ、人文地理の限界性を述べてきた。現段階の人文地理学は安易にインターネットを対象から除外しているが、これこそ弱点を作っているのではないかを指摘した。


Last update: 2023-06-28
Created: 2023-06-28